【読書メモ】「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」風の歌を聴け

 「俺はもう勉強はしなくてもいいね.いいポジションにもつけているし,給料だって悪くない」今日,大学近くのカフェで知らない男がそう言った.
 僕はこの言葉を耳にした時,ほんの僅かだけれど,自分の心にわだかまりが生じたような気がした.もうその類の言葉には動じなくなったと自分では思っていたから,少しでも反応した自分が意外だった.でも,何年か前の僕がそのセリフを聞いたら,多分心底うんざりしていただろうから,これでもかなりの変化ではある.(それが良い変化かどうかはまだわからないけれど.)
 なぜかつての僕はこのセリフに強い嫌悪感を抱いていたのだろう?一言であらわすとすれば「何も考えずにぬるま湯に浸かるという行為が腹立たしかったから」となる.では,なぜ何も考えずに,ぬるま湯に浸かることが僕にとってダメなのだろう,となるが,その前にある小説の切り抜きをここで思い出したい.
 村上春樹著『風の歌を聴け』の一節である.
 
 「虫唾が走る.」
 鼠はひととおり指を眺め終えるとそう繰り返した.
鼠が金持ちの悪口を言うのは今に始まったことではないし,また実際にひどく憎んでもいた.鼠の家にしたところで相当な金持ちだったのだけれど,僕がそれを指摘するたびに鼠は決まって,「俺のせいじゃないさ.」と言った.時折(大抵はビールを飲み過ぎたような場合なのだが),「いや,お前のせいさ.」と僕は言って,そして言ってしまった後で必ず嫌な気分になった.鼠の言い分にも一理はあったからだ.

 鼠の場合は金持ちに対して虫唾が走るほどの嫌悪を覚えていたのだが,同じように僕はいいポジションにつけて何も考えないような人間に対して(つまり金持ち?)嫌悪感を抱いていたのだと思う.
 そして,なぜ金持ちが嫌いなのか,鼠は続ける.

「はっきり言ってね,金持ちなんて何にも考えないからさ.懐中電灯と物差しが無きゃ自分の尻も掛けやしない.」
 
 多分,鼠が嫌う人間の条件として少なくとも「何も考えない」人間であることが挙げられるだろう.そして,鼠は何も考えない人間がなぜ生じるか,その理由について話す.

「うん.奴らは大事なことは何も考えない.考えているフリをしているだけさ.……何故だと思う?」
「さあね?」
「必要がないからさ.もちろん金持ちになるには少しばかり頭がいるけどね,金持ちであり続けるためには何も要らない.人工衛星にガソリンが要らないのと同じさ.グルグルと同じところを回ってりゃいいんだよ.でもね,俺はそうじゃないし,あんただって違う.生きるためには考え続けなくちゃならない.明日の天気のことから,風呂の栓のサイズまでね.そうだろ?」

 考える必要がないから,考えない人間が生じる.なんだか実存主義的だ.しかし,とにかく僕も鼠も,程度の差はあれ,考えない人間を嫌うのだ.
 では,人間は何を考えればいいのだろう?鼠が言ったように,明日の天気のこと?それとも風呂の栓のサイズ?僕は思うのだけれど,明日の天気を考える人間と何も考えない人間は,率直に言えば,同等だろうと思う.では,人間は何を考えれば,僕のような人間から嫌悪されないようになるだろう?
そもそも,考える対象に価値の違いなんてあるのだろうか?価値の高い問題について考えると,価値の高い人間になれるのだろうか?(価値とは何か?)

 この会話の最後に僕は言う.

「でも結局はみんな死ぬ.」